2010年6月7日月曜日

ベースボールの宝 ジュニア 2

マリナーズ史上、最も有名なのは、
ア・リーグ西地区でシーズン終盤に
エンゼルスを激しく追い上げた 1995年の快進撃。

その快進撃でグリフィーは中心的役割を果たした。
今では大スターのA-Rodも、
当時マリナーズでルーキーとして売り出し中だった。

マリナーズは地区優勝決定戦で
エンゼルスを倒してポストシーズンに駒を進め、
ニューヨーク・ヤンキースを撃破して
ア・リーグのチャンピオンシップ・シリーズに進出した。

グリフィーをはじめとする1995年のチームの存在は、
地元ファンのマリナーズに対する興味を呼び戻し、
その後のセーフコ・フィールド建設に大きく貢献することになった。


グリフィーらがいなければ、
シアトルからメジャーリーグのチームがなくなっていた
とも言われている。


セーフコ・フィールド
"グリフィーが建てた家"
と 呼ぶ人がいる。

1990年代半ばにグリフィーが率いたチームと
その戦いぶりがあまりにすばらしかったためだ。

セーフコ・フィールド開場に至るまでの道のりは
シアトル市民にとって最も注目を集めた話題とされている。
そのサクセスは、グリフィーなくしてはあり得なかった。


「398本のホームランや数々の華麗なキャッチだけではない。
グリフィーは、 マリナーズにとって
  初めての観客を呼べる大物であり、
スーパースターであり、
  オールスター先発選手であり、
強烈な魅力の持ち主
だった。

 マリナーズが先のおぼつかない状態を脱して
 米国北西部の夏のエンターテイメントの定番となり、
 ビジネス面でも最も成功したプロ・スポーツ・チーム
 のひとつにまでなることができた最大の理由、

 それがグリフィーだった」 ・・・