続き ・・・・
↓ サインが終わった後の2ショット
左 ドーソン選手
右 若かりし?頃
ひげを生やしていたボク
至福のとき・・・
心臓バクバク・・・
気絶しそう!!
↓ サインをしてくれるドーソン選手
これ、今は無きサンフランシスコ・ジャイアンツの
本拠地キャンドルスティックパークで、
1991年8月に観戦した時、
ドーソン選手が23号ホームランを
打ったときのもの
サインは東京で ↓ ↓ ↓
その観戦チケットにもサインを
頂く! ↓ ↓ ↓
前にも書いたが、
ドーソン選手は、エクスポズからFA移籍する際、
球団側が好きな数字を入れられるよう
金額部分を白紙にして契約に望んだ。
ルールが整備されていないFA初期の事件の一つとはいえ、
こんなことは今ではありえない。
ホーナー旋風といわれ、
来日最初の4試合で6本塁打*を披露した赤鬼ホーナーが、
日本(ヤクルト)に来たのもこの影響。
* 神宮球場で2試合ほど見たが、
ただでさえ小さい神宮が、ホント箱庭に見えた。
ドーソンもホーナーと同じく、日本行きを検討していたが、
妻の反対にあったらしい。
← 日本に来なくてよかった!!
彼はその年、最下位のチームで一人打ちまくり、
史上初の最下位チームからのMVPを獲得した。
なんて男前なんだ!!
極端なクローズドスタンスから
思いきり振りきるバッティングスタイル。
守備での強肩ぶりも凄かった!!
ゴールドグローブは8回受賞。
見ていてしびれるプレーヤーとはこのこと!!
ライトゴロはもちろんのこと、8打席5敬遠なんてのも。
1試合5敬遠ですぞ!!・・・
本人曰く、4年目、26歳の時に引退を覚悟したそうだ。
膝の故障さえなかったら、
第2のメイズも夢ではなかったと思う。