中学の部活動 の続き。
高校では、
監督が、星一徹みたいな人だったので、
1年365日練習があった。
元旦も。
1年の冬休み、学校の体育の行事でスキー合宿があったが、
それにも行けなかった。
どうしてもと言うことで、スキー合宿へ行った部員は、
ダンベルを持たされていた。
つまり、日中のスキー研修が終わったあと、
「ダンベルをやれ」と言うこと。
ダンベルだけでも数キロあるので、
持って行くだけでも大変だ・・・。
そんな厳しい監督のせいか、
”根性論”がまだ美徳とされていた当時でさえ、
耐えられない部員が続出。
一年の時、最初にいた50人ほどの新入部員も、
3年の夏の大会の時には、たったの7人に。
でも、その監督のお陰で、
愛知県でベスト16まで勝ち進んだ。
あとひとつ勝てばベスト8だった。
ベスト8に勝ち残れば、
中日球場(現ナゴヤ球場)でゲームが出来た・・・。
今から思うと、
中学~高校までの部活動(野球部)を通して、
あいさつ
人間(上下)関係
競争心
何事にもめげない精神力
体力
継続する力 など
が培われたのだと思う。
そういう意味で、
中学~高校にかけての6年間の部活動)野球部)は、
今のボクの根幹 を 形作ってくれた
といっても 過言ではないかな。
その後、
自由奔放、楽しかった
岐阜での大学時代・・・
社会の厳しさと大人であることの楽しさを味あわせてくれた
東京でのサラリーマン時代 ・・・
脱サラして、ここ豊明に移り住み、
ゆっくりだけど、しかし、着実に
住んでいるところに根をはって自営している現在・・・
へと続く。
そして、この春、 ボクに
その礎となる 新たな家族
が出来る。