2009年11月21日土曜日

ノーヒットノーランの記憶 中日編

まずは、我がドラから・・・

会社に入って2年目くらいの時だったろうか?
暑い暑い夏の夜だった。
当時のボクにしては珍しく残業がなく、
何もせずにおとなしく家に帰っていた。

東京で一人暮らしをしていた頃だ。
6畳一間のボロアパート。
部屋には風呂がなかったので、銭湯通い。
かぐや姫の神田川の世界だ。

そんな部屋で、小さなテレビにかじりついて
中日対巨人戦を観戦してたのだが・・・

息をするのも忘れるくらい、と言う感じで画面に見入っていた。
下宿だったので、部屋にはトイレもない。
トイレに行くのもはばかれるくらい・・・。

マウンドには、この年、享栄高校から入団したばかりのルーキー、
近藤真一投手が、好調巨人打線に立ちはだかっていた。

速いストレートに、縦に大きく割れるカーブ。

当時の巨人には、原、中畑。篠塚らがいた。
(今でも覚えているが、最終打者は篠塚の三振だ)。

中日の当時の選手は、
平野、ゲーリー、落合、宇野、川又、中尾、小松、郭源治・・・。



少々マニアックな話になるが・・・
最終打者となった篠塚の前に打席に立ったのが鴻野淳基だ。
あまり記憶にないだろうが、地元名電(現愛工大名電)出身だ。


ボクは彼と、高校時代の県大会で、一度だけ対戦している。
(彼が3年、ボクが2年の時で、ボクは控えで代打での一打席のみだった)

ボクの高校は公立高校、相手は野球の名門中の名門名電。
完全になめられている。

彼は高校時代からショートを守っていたが、
エースを温存するために、ボクらと対戦した時はピッチャーだった。

その球の速いこと速いこと・・・
ストレート一本でズバズバ投げ込んでくる!
全くかすりもしない。
さすが、その後、ドラフト1位で西武に入団しただけのことはある。


しかし、プロの世界は厳しい。
西武に1位指名で入団するも、与えれた背番号7は、
翌年ドラフト1位入団の石毛にあっさり奪われてしまう。

巨人に移籍後も、川相(現中日コーチ、来季から二軍監督)の
台頭もあり二軍落ち。



話を、近藤投手に戻そう。

彼は華々しいデビュー戦もそこそこに、
短い現役生活を終えているが、
野球ファンには、あの試合の記憶は永遠に残るだろう。


因みに
この試合でサードを守っていた落合(現中日監督)は、
華麗なフィールディングを見せて、近藤投手の快挙に一役買っている。


現在、近藤投手は、
我がドラの2003年から投手コーチを務めている。

1995年からは中日の打撃投手兼スコアラーを務め、
1996年からスカウトへ転身。
初登板ノーヒットノーランというプロ野球歴を生かし、
抑えの岩瀬らの入団に貢献したことでも有名だ。

ちなみに岩瀬のつけている背番号「13」は、
近藤がノーヒットノーランを成し遂げた際の背番号だ。

同じ愛知出身の左腕であることから
「近藤から岩瀬への贈り物」
と称されたそうだ。


野茂のノーヒッターについては、近いうちに・・・